主人公に、ささくれはできない。 | 東進ハイスクール青葉台校|神奈川県

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2019年 11月 2日 主人公に、ささくれはできない。

こんにちは、慶應義塾大学総合政策学部2年の高井涼史です。

 

 

今回は受験で大事な考え方のうちの1つを書こうと思います。

それは「主人公に、ささくれはできない。」ということです。

 

 

「自己紹介をしてください。」と話を振ると、大体の人は恥ずかしそうにしながら話し始めます。「名前は〇〇で、学校は〇〇で、…」と。僕も何も考えずに(相手の印象に残ろうとするなどの意図を持たずに)話すと、このようになると思います。

人によって、話す内容は異なりますよね。好きな食べ物とか、将来の夢とか、取り組んでいるスポーツとか、身につけている物とか。挙げていくとキリがない程に三者三様だと思います。

実は僕はいろんなことを考察するのが趣味の1つで、理想的な自己紹介について考えたこともあるのですが、今回は自己紹介の方法の話では無いので端折ります。

さて、ではこの自己紹介をした後に「もっと詳しく教えてください。」と言われると、どのような話をするのでしょうか。自分だったらどうか、少し考えてみください。

多くの人は「何についてもっと詳しくすればいいですか?」と聞き返すのかなと僕は予測します。会話の始まり、それも初対面のコミュニケーションである自己紹介で、「もっと詳しく」なんて実際には言えたものでは無いので予測に過ぎないのですが。。。

 

 

でも、ここで1つの本質に辿り着いていることにお気づきでしょうか。

何も考えずに話すと、びっくりするくらい内容に深みはありません。好きな食べ物がハンバーグで、将来の夢がサッカー選手で、サッカー部に所属している人は、五万といます。

深く考えず営まれる自己紹介というコミュニケーションでは、「で、君は誰なの?」な発言が横行しているわけです。これは「もっと詳しく教えてください。」によって明らかにされます。

多少の論理の飛躍を感じる方もいると思うので、補足すると、もし最初から自分1人をアイデンティファイできる自己紹介をしていたら、「もっと詳しく」の返答は「何の?」ではなく、本当にもっと詳しい説明になるはずだということです。これでも異議ありな人は校舎で議論しましょう(笑)。

 

 

自己紹介とはまた別の例として日記を挙げましょう。

日記を書いたことがありますか?僕は実のことを言うと書いたことがほとんどないのですが、唯一鮮明に書いた記憶があるのが小学校の夏休みの宿題です。

例えばわかりやすく、「夏休みの日記を10日分書いてきてください。」という宿題が出たとしましょう。皆さんだったら何を書くか、少し考えてみてください。

海水浴に行ったこととか、キャンプしたこととか、花火を見に行ったこととか、勉強したこととか?(笑)。こちらも三者三様の日記になること間違いなしです。でも、さっきの自己紹介の時みたいに、ありふれた日記は無いはずです。だって、その夏は君だけのものだから。やかましいわ(笑)。

でも、僕はこの宿題からも1つの本質に近づくことができました。宿題に「日記を書くこと」しか指示されていないのに、自然と印象的な出来事だけを選んで記録していたのです。僕は小学生の時にこれに気づき、わざわざただ暑いだけの日を絵日記に書いたのですが、おそらく例外に入るでしょう。

なぜ印象的なことだけを書いてしまうのか。現代風の言葉で言えば、「映え」るからでしょうか(笑)。僕はこの理由は、印象的な出来事の方が認識/理解をしやすい/されやすいからではないかと考えています。簡単に言えば、わかりやすいからですね。ただ、これはまだ要議論事項です。こちらも議論相手募集中です。

以上のように、自己紹介と日記のそれぞれの例について考えると、人間が話すこと/語ることは何かの「すべて」ではないことがわかります。至極当然のことですが、自己紹介をしてくださいと言われておじいちゃんの話を詳細にする人もいなければ、日記を書いてくださいと言われて歯磨きをしたことを詳細に書く人もいないです。

なぜ当然なのか。情報は無限に広がっているため、話す/語る時にはその情報を切り取る必要があるからです。

 

 

あなたは、あなたの人生の主人公です。

自分なんて社会の歯車だ!そう考えている人もいるかもしれませんが、その場合でもある1つの歯車のストーリーを歩んでいると言えるでしょう。

主人公は自分が経験したことを「すべて」経験しています。でも主人公以外はそうではありません。その証明に、僕は僕の人生の主人公ですが、このブログを読んでいるあなたはこのブログを僕がどこで何時にどのように書いているかは知らないわけです。

そして、このブログをどのように書いているかについて話そうとすると、僕の利き手がどちらかという情報も端折って、両手でタイピングしているとまず語ることを迫られるのです。

僕は今、こうしてこの論について考えているので、意識的に「迫られる」という表現をしていますが、普段はどんな人も例外なくその情報の切り取りを余儀なくされています。

 

 

ここまで長く話してきましたが、これは受験で大事な考え方の何につながるのか。勘の良い人はわかったかもしれません。

極めてシンプルに「他人が語ることをすべてだと思うな。」と伝えたい。

「高校の先輩がこの大学はと合格しやすいと言っていたので…」とか「この参考書は先生が良いと言っていたので…」とか。危うさしかありません。

担任助手も例外ではありません。僕たち担任助手は皆さんに大学受験に合格してほしいと切に願っていますし、手伝いたいと考えています。

そのため、助言を求められると喜んで自分の経験を話します。でも、それは僕たちの「すべて」ではありません。もしかしたら成績に一番関係あるのは朝ごはんかも知れないのに、史上最高に出来の良かった模試の日の朝ごはんなんて覚えてもいません。

めちゃめちゃ強い少年漫画の主人公が、めちゃめちゃ強い敵といざ戦わんという時に、「ささくれできちゃって、今日調子悪いんだよな〜」とは言わないですよね(笑)。

つまり、主人公に、ささくれはできない。

 

 

成功者はその成功の物語を語りたがります。

そして同時に、物語は誰かの視点で語られます。

あなたは誰かの経験をコピーするために生まれてきたわけではありません。そして、コピーをしてそれ以上の結果を残せるほど優れていません(例外はありますが)。もっと言えば、コピーしようとする部分はそもそも、コピーの対象の一部に過ぎません。

自分が成功者として語りたくなる人が多いのは、成功者の経験が他の誰とも異なると成功者が自覚していることの証明だとさえ考えることができます。

 

 

あなたは何者になるのか。

受験に留まらない自分だけのストーリーを歩んでいってください。

 

 

このブログを読んだ人に良いことがあらんことを。

 

 

担任助手2年 高井涼史

このブログは先駆者の経験を聞いて参考にすること自体を否定するものではありません。先駆者の経験を聞いて、それからどうするかが重要という観点を持てると良いと思います。

 


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